懐古厨によるちょっとしたたとえ話

例えば、ここにひとつの街があるとしよう。
その街にある店を見て回ると、役に立つアイテムがあれこれ手に入る。アイテムのジャンルは幅広く、ちょっとした便利グッズから貴重な宝石まで、とにかくいろんなもの。
昔は街への行き方を、そして街そのもののことをよく分かっている人だけがその街に通っていて、その人たちによって街は綺麗に整備され、大通りにある店(当時は個人商店が多かった)をざっと眺めるだけでも良いアイテムがたくさん手に入った。
でも当時から、良いアイテムに紛れてウンコもあった。とはいえウンコは大通りから路地を一本入った裏通りの肥溜めにまとめて入れるようになっていたり、たとえ大通りの店に並んでいたとしてもその店は店主の意向で鍵が掛かっていることが多かったから、自分からそちらに向かっていかない限りはウンコを掴まされることはなかった。
あれから時代が流れ、個人商店はだんだん廃れて、大きなショッピングセンターが主流になった。
ショッピングセンターは便利だ。今までは店の出し方が分からなかった…という人でもここでは簡単に店が出せるから、昔の個人商店には並んでいなかったようなとてつもないお宝アイテムもたくさん手に入るようになった。だから私もショッピングセンターに通い始めた。
同時に交通手段も発達して、街に来る人も一気に増えた。しかし人が増え、良いアイテムも増えたということは、比例してその分ウンコも増えるということ。一部の人(主に“街の外でウンコの処理に困っていた人”)が、ここぞとばかりに店にウンコを持ち込んで並べるようになった。店に鍵を掛けるということも知らない…というより、むしろウンコを自慢して見せたがる。そもそも自分がウンコを並べているという自覚すらない人もいる。挙句、他の人の店(これが良いアイテムばかり並べてくれている私の好きな店だとさらに辛い)に乗り込んでいって自分のウンコをなすりつけていくような人まで出てきた。下手するとその人の店より肥溜めのほうが綺麗なんじゃないかと思うくらい(肥溜めにも時々「ちょっとウンコはついてるけど良いアイテム」が落ちてたりするし)。
ショッピングセンターでは「ウンコを見えなくするゴーグル」を貸してくれたりもするんだけど、巧妙にアイテムの形に擬態させたウンコなんかもあって、そういうのはゴーグルを装着してても見えてしまう。
…最近、もう店に、街に通うことに疲れてきた。あまりにもウンコが多すぎて。それらをかき分けてアイテムを探す、という気力が尽きてきた。
こんなにウンコだらけでみんなおかしいと思わないのかな。もしかして私の知らない間に「店にはウンコを並べるもの」という常識ができあがってしまったんだろうか。じゃあその常識が受け入れられない私はそろそろ店を、街を出るべきなんだろうか。
でももう人生の2/3近くを「生きるために必要なアイテムは街で探す」というスタンスで生きてきたから、今更街へ行かない生活なんて考えられない。
だから私は今日もウンコをかき分けながら、良いアイテムを並べてくれている店を探しに行くのだった。


…あ、かくいう私も今こうやってウンコのようなものをひとつ置いていくわけなんだけど、ここってだいぶ通りの隅っこの方だと思うから大丈夫だよね。
ショッピングセンターじゃないからきっと誰も来ないはず…。